東大 総合文化研究科 人間の安全保障プログラムの試験対策について

東京大学 総合文化研究科 人間の安全保障プログラムの入試対策

英語・論述担当の高橋です。本日は、東大総合文化研究科入試における8つのカテゴリーのうち、「人間の安全保障プログラム(略称HSP)」の受験対策について記したいと思います。以下、5つの項目に分けて執筆します。

「8つのカテゴリー」については、「東京大学 総合文化研究科(文系)専攻 入試対策概要」をご覧ください。

*以下の解説は、基本的に、1月~2月に試験が行われる「一般選抜」を念頭に置いています。7月に試験が行われる「社会人特別選抜」については、日を改めて記します。

(1)「人間の安全保障」概念をめぐって
(2)東大 総合文化研究科 人間の安全保障プログラムの仕組み
(3)東大 総合文化研究科 人間の安全保障プログラムの入試の特徴
(4)東大 総合文化研究科 人間の安全保障プログラムの専門試験の対策
(5)東大 総合文化研究科 人間の安全保障プログラム 提出書類の対策

(1)「人間の安全保障」概念をめぐって

(この項目はアカデミックな内容を中心に書いているので、院試の情報を手早く得たい方は読み飛ばして(2)に行ってください。)

「人間の安全保障(human security)」の概念は、良く知られたことですが、ノーベル経済学賞を受賞したインドの経済学者、アマルティア・センが提唱した概念です。従来「安全保障」と訳される概念は、securityでした。これは基本的に、国家間の関係から紛争を管理する発想です。しかし、冷戦が終わったあとに噴出した民族紛争や内戦、また、従来より存在していた世界の南北間の経済格差の大きさなどから、国家の枠では捉えられない一人一人に焦点を当てたアプローチが必要になってきます。そうしたなかで、この「人間の安全保障」の概念は、問題含みの面もありつつ、国際社会で掲げられる理念になってきました。

この概念は、広範であり、それゆえに曖昧な面もあり、以前より「人権」などの概念に拠って行われてきた活動と必ずしも区別できません。(また、別に区別しなければいけないわけでもないでしょう。)ただ、「ケイパビリティ・アプローチ」という言葉が知られるように、教育やコミュニティに焦点を当てるアプローチを重視する方向へと国際協力を導く一助になっていると考えられます。また、従来は、発展途上国への支援に重点がありましたが、いわゆる先進国の中でも、相次ぐ災害や、新自由主義的経済政策のもとでの格差の拡大*などの影響から、「人間の安全保障」の理念を当てはめて論じたり、活動したりすることも増えています。実際過去の昴からの合格者でも、日本での問題に焦点を当てて論文を書いた人もいます。
*余談ですが、東大の人文社会系研究科の2016年度の英語試験では、トマ・ピケティの『21世紀の資本』の書評が出題されています。現在の経済的な格差の拡大にたいする問題意識は、人文・芸術系の諸学でも多いに共有されるようになっていることを反映したものだと言えるでしょう。

上記の点にも関連するところですが、筆者自身が関心を持つテーマに引き付けて、「人間の安全保障」という理念の今日的意義、あるいは問題性についても簡単に記します。

日本でもよく知られ、翻訳もたくさん刊行されているアメリカのフェミニスト、ジュディス・バトラーは、21世紀に入ってから、Precarious Life: The Powers of Mourning and Violence(『生のあやうさ―哀悼と暴力の政治学』)や、Notes toward a Performative Theory of Assembly(『アセンブリ―行為遂行性・複数性・政治』)などの著書を中心に、 “precarity”あるいは “precariousness”という言葉を一つの軸にして議論を行っています。いずれにせよ、なかなか訳しづらい言葉(上記のように、書籍のタイトルとしては「あやうさ」という訳が採用されています)ですが、それが意味する内容は明瞭です。2001年9月11日の事件以降、世界の多くの場所で、「テロとの戦い」と呼ばれる戦争が遂行され、それはテロと関係ない人々の命を奪い、生活を破壊してきました。また、近年、「新自由主義」という言葉に加えて、「緊縮austerity」という言葉が経済体制と国家政策を論じる言葉として焦点が当たっています。財政難などの名目で、福祉が切り下げられていくなかで、従来ならなんとか生をつないでいた人々の命が脅かされています。また、経済発展を遂げつつある多くのアジアなどの国々の都市では、深刻な大気汚染が人々の健康を蝕むとともに、様々な鉱山などの労働者にも、慢性的な身体の不調が襲い掛かります。これは本当に一部の現象を挙げただけですが、現在の社会では、「ほとんどの人々が、ただし異なった度合い・仕方で」生を危うくされている。このことがこのprecarity/precariousnessという言葉には込められています。

上記の「ほとんどの人々が、ただし異なった度合い・仕方で」という言葉が、この理念を理解するうえで肝要です。それは一方で、現在、「問題なく生きていけている」と感じている人々でも、いつ、何かの病気になって、生きていくのが困難になるかもしれない。また、「普通にやっていく」ことをめぐる、身体的・精神的負荷の大きさは、私たちの日常でも実感されます。一方でバトラーは、こうした自分自身の生のあやうさを、他者の生のあやうさへと連帯する可能性として考えます。しかし他方で、こうしたあやうさは、万人に平等に影響するのではなく、異なった仕方で、一部の/しかし非常に多くの人々の生をとりわけあやうくするものでもあります。こうした点を看過してしまえば、それは他者への想像力をかえって損ない、ともすれば、それぞれの人々が置かれた条件の差異を無視してしまうことにもつながりかねません。

「人間の安全保障」は現在、上記のような問題の大きな要因になっているもろもろの体制が、公的に掲げることのできる理念となっています。その意味では、「人間の安全保障」は、 “precarious life”を生み出している体制の一部を担っているとも言えるでしょう*。ただ、単にそうしたものとして「人間の安全保障」を批判し捨て去ってしまうばかりが取りうる方策ではないでしょう。「人間の安全保障」という理念の動員のされ方、それがもたらすものについて、常に批判的な視点をもちながら、その内部で世界をより生きやすくしていくことも、重要な仕事だと言えます。また、過去の合格者などの書いた論文や、その後の報告から、東京大学の「人間の安全保障プログラム」は、そうした批判的視座を包摂することができる枠組みであると考えます。
*一例を挙げれば、Angela McRobbieはThe Aftermath of Feminism: Gender, Culture, and Social Changeにおいて、ケイパビリティ・アプローチと、新自由主義体制における起業家精神の強調との共犯関係を論じています。

(2)東大 総合文化研究科 人間の安全保障プログラムの仕組み

上述のように、「人間の安全保障」は多岐にわたる領域での活動と理念を含んでいます。そうした点を反映してのことだと思いますが、東大の「人間の安全保障プログラム」は特定の専攻としてではなく、様々な専攻に所属して研究・活動を進めていくことができるようになっています。具体的には、文系の専攻で言えば、「国際社会科学専攻(国際関係論分野・相関社会科学分野)」「地域研究専攻」「言語情報科学専攻」「超域文化論専攻(文化人類学分野・表象文化論分野・比較文学比較文化分野)」、また、理系の専攻である「広域科学専攻」のいずれかに所属しながら、人間の安全保障プログラムとして研究・実践を進めていくことができます。

なお、上記のような所属を希望する専攻によって、異なる入試を行うわけではありません。入試では、「人間の安全保障プログラム」として共通の試験が課されます。

(3)東大 総合文化研究科 人間の安全保障プログラムの入試の特徴

東大の「人間の安全保障プログラム」では、独自の語学試験は実施せず、「英語能力を証明する書類」として、TOEFLないしはIELTSのスコアの提出を求めています。

注意すべきは、TOEICが利用できない点です*。人文系・社会科学系の大学院の場合、それほど多数派ではありませんが、理科系や公共政策大学院などでは、TOEICを利用できる大学院が多く、そのためにTOEICの勉強をしている人は多いでしょう。一方で、writing, speakingを求めるTOEFL、IELTSのスコアを上昇させるにはかなりの期間と努力が必要であり、そのため、早い段階から準備を進めていく必要があります。
*「人間の安全保障プログラム」の入試案内には、「TOEICはアカデミックな英語力をはかるものではないため受理しない」と述べられています。個人的に、この理念は素晴らしいと思うし、今後とも維持していってほしいと思います。

上記の英語力の証明書類とは別に、専門に関する筆記試験が課されます。これについては次の項目(4)をご覧ください。また、合否を左右する重要な要因として、「提出論文」「研究計画書」があります。これについては(5)の項目をご覧ください。

(4)東大 総合文化研究科 人間の安全保障プログラムの専門試験の対策

「人間の安全保障プログラム」の専門問題は、第1問が共通問題、第2問が選択問題です。

第1問は、「人間の安全保障」をめぐる一般的な問題です。ただし、出題の内容には、東大「人間の安全保障プログラム」ならではの問題意識もうかがわれます。2016年度の出題では、「人間の安全保障」の「人間」の意義について問う問題が、2017年度の出題では、「人間の安全保障」の理念の発展可能性を問う問題が出題されています。さらに2018年度には、「人間の安全保障」概念が国連で提起されて以来の時間の流れのなかで、この概念を批判的に再検討することが求められています。

この「第1問」に解答するにあたっては、「人間の安全保障」という理念の曖昧さへの理解が重要です。どこかに「人間の安全保障」についての完璧な定義が存在して、それを記せば合格できる、というような考えは捨てましょう。この言葉がどのような経緯で提起され、どのような活動と結びつけられてきたか、という点をめぐる最低限の理解は必要ですが、むしろ、そうした理念と歴史的展開を踏まえながら、「人間の安全保障」がもつ今日的意義や、その問題性を批判的に検討することができる受験生を求めるものと言えます。

第2問の選択問題では、与えられたキーワードを、「人間の安全保障」と関連付けて論じることが求められます。2016~2018は、8問中から1問選択して解答する形になっています。

与えられるキーワードは、「京都議定書」「パリ協定」などの具体的な国際的取り決めから、「生物多様性の保護」などの理念、「緑の革命」などの開発経済学の歴史に関わるもの、また、「格差社会」「性暴力」といった、より具体的な出来事、さらには、「bio-power(生権力)*」「例外状態**」といった、よりアカデミックな用語まで様々な用語が出題されます。そう聞くと難しく感じるかもしれませんが、実際には、8つの用語のなかで1つを論じられれば良いわけです。「人間の安全保障」という枠組みのなかで研究を進めたり活動していきたいと考える人なら、1つは論じられるテーマがあるはずです。特定の本を勉強するよりも、過去問をチェックしながら、自分が特に関心がある問題の現在の状況やこれまでの経緯などを調査していくことで、実際の試験で論じるために必要な知識や問題意識を養っていきましょう。
*bio-power(生権力):フランスの哲学者、ミシェル・フーコーに由来する概念。類語として、bio-politicsなどがある。今日非常に多くの分野(国際関係論、フェミニズム、クィア・スタディーズ、ディサビリティ・スタディーズetc.)で参照され、重要性を増している概念である。
**「例外状態」:もともとはドイツの法・政治哲学者、カール・シュミットに由来する概念である。今日では、イタリアの哲学者、ジョルジョ・アガンベンがシュミットからさらに発展させた概念として参照されることが多い。

なお、私が担当する昴教育研究所の論述対策講座では、こういった出題に対する徹底的なアウトプットを通じた対策を行っています。
(リンク「論述対策講座について」)

(5)東大 総合文化研究科 人間の安全保障プログラム 提出書類の対策

東大の「人間の安全保障プログラム」では、上述の英語試験と専門問題に加えて、二次試験までに、「論文等」および「研究計画書」の提出が求められます。英語試験のスコアと筆記試験の得点だけでは判断材料としては弱いため、この「論文」および「研究計画」が合格に大きな影響を及ぼすと考えるべきです。

まず理解しておくべきは、「研究計画書」は「論文」に付随する位置づけである、という点です。研究計画書は「今まで学習・調査してきて、どんなことがわかっているか」を基盤にして、「これからさらにどんな研究・調査の可能性があるか」という点を記すものです。したがって、現時点で自分が明らかにしていることを示す「論文」をしっかりと完成させることなく、「研究計画書」だけを作成することは不可能です。

「論文」を作成していくにあたって、「人間の安全保障プログラム」で発生しやすい問題を記しておきます。この領域の研究・活動は、実際に現地に行って、調査を実施するフィールドワークを含むことが多いです。この場合、実際にすでに、NPO・NGOやJICAなどで活動や調査に携わったことがある人なら対処できますが、大学の学部生から「人間の安全保障プログラム」の大学院を目指す人の場合、こういった経験を経ていない場合が多いでしょう。

こうした場合、文献を通じて調査を進める必要があります。しかし、現在進行形で発生している問題に対する文献資料は限られたものであり、過去の実際の合格者のテーマでも、日本語で単行本の文献があれば良い方で、多くのテーマでは、ホームページなどに挙がった報告などしか参考にすることができない状況でした。こうした場合に有効なのは、英語文献、英語論文を参照することです。国際協力などの分野では、日本語で書かれたものに比べ、英語で書かれたものは数十倍の分量があります。そうしたものを、できるだけ多く集め、少しでも読み込みながら、現地で調査ができない部分を積極的に代替していくことが必要になります。

一方、すでに調査・研究の経験があり、データを持っている人も、それで安泰というわけではありません。調査・研究を、単に「事実」として報告するだけでは、東大の「人間の安全保障プログラム」はもとより、その他の大学院でも合格は望めません。そうした事実を枠づけるために、当該地域の歴史についての幅広い文献を集め参照する必要がありますし、また、自分が行っている活動が、よりグローバルな文脈のなかで、どのような意義を持つのか、に対する注意も払う必要があります。その意味では、上記の受験者と同様に、日本語に限定されない幅広い文献資料を利用することが必要になってくるでしょう。

幸い、昴教育研究所では、「人間の安全保障プログラム」にこれまで多くの合格者を輩出してきた実績があります。もちろん、このページを見ている方が皆、昴での研究指導に関心を持っているとは限りませんが、ちょっとでも関心を持った方は、ぜひ昴がどのようなサポートができるのか、お問い合わせください。

(リンク「昴の研究指導」)

このページをご覧になった多くの方が、十分な準備をして良い結果につなげられることを願っています。

昴教育研究所講師 高橋

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